こんにちは 大平伸一です!
皆さんはじめまして、元放送記者の大平伸一(おおひらしんいち)です。私は2011年に仙台放送に派遣され、FNN東日本大震災東松島臨時支局長として沿岸被災地の駐在記者を務めました。被災者の皆さんに寄り添いながら生活再建への道のりを日々取材し、村井知事が取り組む復興への課題についても現場の実情を直接肌で感じることができました。
「村井県政」を間近に見てきました
2015年に仙台放送報道部・県政キャップに着任してからは、より間近に村井知事の行政手腕を見る機会が増えました。知事はたとえ困難に直面してもリーダーシップを発揮できることや、迅速な判断を下せること、強い意志の持ち主である一方サービス精神旺盛な一面もあり、明るい人柄であることなどもよく知っています。宮城の復興がここまで順調に進んだのも村井知事だからこそできたことだ思っていますし、政治家としてはもちろん、人間としても尊敬できる人物だと感じています。
私は自分の体験や感動に対する保守派です
仙台に生まれ育った私は、都会と呼ぶには中途半端で田舎と呼ぶには案外便利なこのふるさと宮城が心から大好きで、これからも守りたいと願っています。もし保守派なのか改革派なのかと問われれば、自分が体験し感動した記憶に対する保守派だと思っていますし、そうした感覚は村井知事にも通じるのではないかと勝手に思い込んでいました。しかしここ数年、村井知事のかじ取りには首をかしげる機会が増えてきました。県美術館の移転騒動や、水道民営化と批判されたコンセッション、復元船サン・ファン・バウティスタ号の解体や、宿泊税の導入騒ぎなども同じです。最近では4病院再編構想や、県営住宅の廃止方針なども理解しがたく、いったい村井知事は私のふるさと宮城をどうするつもりなのだろうと不安さえ覚えるようになりました。誰かが言うように村井知事が関西出身だからとは思いませんが、少なくとも私の感じる宮城の良さに気づいていないのかもしれないと考えるようになりました。
知事派多数の県議会では監視が甘くなります
ここ数年、村井知事が打ち出す政策のほとんどが、「少子高齢化と人口減少」を掲げて県民の不安を煽り、その解決策として大胆な案を提案する、いわゆる「マーケティング的」あるいは「ショックドクトリン的」な手法に頼っています。さらに、県民から困惑や疑問の声が上がると「有識者の意見」をエビデンスに反論を突っぱね、聞く耳を持とうとしないことも多くなりました。これが復興の最中であれば有用な手だったかもしれませんが、いまや世の中はAIとDXによって課題解決をめざす時代の入口に立っています。恐怖心を植えつけてモノを売っていた昭和の広告のような政策提案の方法は時代遅れとなり、いずれ県民の目にも陳腐に映る日が来るでしょう。本来であれば行政の監視役である県議会がそれを厳しく追及するところですが、知事派の議員が多数を占める現状では、踏み込みが物足りなく思えてなりません。
このままでは代わり映えのしない県議会に
私は村井知事を尊敬していますし、仕事を通じて恩義も感じています。しかしだからといって、納得できない政策を見過ごすわけにはきません。まして先日のように「私を止められるのは議会だけ」などと言われてしまっては、「村井さん、それは違うんじゃないの」と言いたくなってしまいます。じつは正直なところ、私は今回の選挙に同じような考えを持つ候補者が現れることを期待していました。それなら私が立候補する必要もなく、応援にまわればいいわけで、落選する痛みも恥も知らずに済むからです。しかし、待てど暮らせど報道される限りではそのような考えを持った候補者は現れず、このままでは改選前と代わり映えのしない県議会になる可能性が高まってきたと感じました。
止むにやまれず立候補を決意しました
あらためまして私、大平伸一はこのような思いから止むにやまれず、今回立候補することを決意しました。ただし私は、他の方々のようにあれをやります、これをやりますといった空手形は切りません。予算執行権のない議員には、せいぜい執行部に働きかけることしか許されず、皆さんが望む声に必ず応えられるとは約束できないからです。その代わり、知事や執行部に対してはしっかり監視し、厳しく意見することをお約束します。私は完全無所属なので政党に縛られず、一切のしがらみもなく、まして怪しい宗教にも関わっていません。もし、まかり間違って県議になることができたなら、県民の利益追求のために議員としての調査権を最大限活用し、誰もが納得できる説明を県に果たさせます。条例の制定・改正を議員提案し、県議会本来の責務を果たすよう力を尽くしてまいります。
DIY選挙で闘うドン・キホーテとなります!
私は今回の立候補にあたり誰にも相談せず、誰からの支援も受けず、自分一人で選挙に出ることを決めました。6年前に妻を亡くし、3年前に子供が独立し、去年職場を退職した私は、もはや誰に気を遣うこともなく失うものもありません。当然ながら支援組織もなく、孤立無援で、世間的にはまったく無名の泡沫候補です。このサイトも何人の方の目に留まるかわかりません。それでも私がDIYで選挙に立ちドン・キホーテを演じようと考えたのは、従来から抱く「お金のかかる選挙」への疑問と、インターネットによる選挙活動解禁後も続く「昔ながらの選挙」に不満もあったからです。無謀と言われればその通りかもしれません。
いつか同じ考えの候補者が現れることを願って!!
ネットを中心に闘おうとする私は、毎日ひたすら自分の手で掲示板にポスターを貼りながら、選挙区のすべてのエリアをこの目で確かめることが唯一の選挙活動になりそうです。余裕があれば辻立ちはしようと思いますが、自分が迷惑だと感じてきた選挙カーでの連呼はしませんし、あいさつまわりもしません。本当に一人なので後援会事務所も設けず、おそらく選挙結果は厳しいものになるでしょう。県議選がそれほど甘くないことは報道に携わってきた者として十分承知しています。それでも供託金60万円を納めてまで無鉄砲に立候補を決めたのは、いつか同じような考えの人が次々と現れ、お金をかけない選挙が当たり前の世の中になることを願っているからです。…すみません、長くなってしまいました。以上、雑文ながら立候補にあたっての私の決意となります。最後までお読みいただきありがとうございました。末筆ではございますが皆さまのご健康とご多幸を心からお祈りいたしております。大平伸一
わたしの経歴
・1962年3月18日 宮城県仙台市※現在の青葉区上杉生まれ(A型) ・東北福祉大学附属幼稚園 ・仙台市立荒巻小学校 ・仙台市立三条中学校 ・宮城県工業高校インテリア科卒業 ・東北福祉大学社会福祉学部福祉心理学科除籍(経済的困窮による学費未納のため) ・月刊Knock編集部記者兼カメラマン ・仙台写真工房社員カメラマン ・旭通信社企画制作室専属プロデューサー ・1991年シナリオハウス創業 ・2011年~制作会社(株)きさくや所属・仙台放送報道部派遣 FNN東日本大震災東松島臨時支局長 仙台放送報道部県政キャップ 報道デスクなどを歴任 ・2022年~フリーランス(仙台市青葉区中山の借家に一人暮らし) ※1999年~日本映画監督協会会員(現) ※2003年~日本アカデミー賞協会会員(元)
おもな作品 「負げねど!津波~被災旅館再生記」撮影・構成・演出(仙台放送初のFNSドキュメンタリー大賞受賞) ETV特集「ジンタは心の行進曲~北村大沢楽隊」取材・構成・演出(Eテレ) 劇場映画「大感傷仮面」プロデューサー ほか